携帯電話がない時代
今は携帯電話もスマートフォンが主流になってしまって、
電話だか、パソコンだか分からなくなってしまいました。
買い換えてみてもいいかなとは思いますが どうせ使いこなせないし
たぶん今以上(通話かメール)に利用はありえないので今ので充分でしょう。
でも25年前はそんなものもありません。
デパートの営業であちこち回りながら、
よく使う公衆電話の場所はたいてい覚えていました。
以前、内線電話を使う女子社員を眺めながら、
昔を思い出しながら書いた文です。
『携帯電話のない時のデートの約束』
今は誰しも携帯電話持っていて
簡単に何処でも誰とでもそしていつでも連絡取り合うことが出来、
全くもって便利になったものです。
でも今から25年くらい前、そんな便利な物はありません。
全てが仕事場、自宅そして公衆電話と言う固定された電話機からしか
連絡は取れませんでした。
でも当時はそれが当たり前で何の不自由さも感じませんでした。
例えばこんなことも。
「ようごくろうさん、仕事がんばってるみたいだな、味噌の売り上げも伸びてるし、
たまには一緒に昼飯でも食うか?」
デパートで使っているアルバイト学生に声掛けた。
「やったあ、ありがとうございます。それから、売り場は違うんですけど、
知ってる子いるんで連れてっていいですか?」
「いいよ。じゃあこの前行ったことある中華料理屋に先行ってるから、後で来いよ。」
バイトが連れてきた子はなかなかかわいい子、
デパートで働くだけあって受け答えもしっかりしていて、愛想もいい。頭も良さそう。
「かわいい子じゃないか、彼女?」
「いえ、違います。同じ大学なだけです。彼女洋菓子売り場にいるんです。
一度おみやげにでもチョコかクッキー買ってやってください。」
それぞれランチ定食を頼んで、他愛も無い事喋りながら一時間が過ぎ、
バイトがトイレに行っている時、誘ってみた。
「今日仕事は何時に終わるの?もし暇なら晩御飯でも食べようか?」
「えっ語馳走してくれるんですか、嬉しい、はい大丈夫です。早番ですから5時です。」
意外とすんなりOK
「じゃあ後で売り場に電話入れるよ。」
「お願いします。」
今ならアドレス聞いて、「じゃあとで携帯にメール入れておくから。」で終了。
でも当時そうは行かない。
公衆電話へ行ってまず、お目当てのレストランに電話。
今晩の予約が取れるかを確認する。
首尾よく取れました。
今度は彼女の働くデパートの代表番号に電話、
「地下食品の洋菓子売り場お願いします」
交換台の女性が言う、《お電話お回しします、そのままお待ち下さい。》
そして《お電話ありがとうございます、地下食品洋菓子売り場担当小山と申します》
「恐れ入ります、バイトの中田さんお願いします。」
《少々お待ち下さい。》
デパート食品売り場女子社員小山さん受話器を右手の平で押さえると、
「中田さん、電話よ!」
“私用電話はダメって言ってあるでしょ、”
言いたげに、にらめつける様に、受話器を渡す。
《はい、お電話代わりました、中田です。》
「あー、もしもし先ほどの味噌屋です。」
《はい、どうも先ほどは、ありがとうございました。》
「予約取れました。時間7時で大丈夫ですか?」
《はい大丈夫ですが場所は?》
「7時に地下鉄広尾駅でどうですか?
出口が2箇所ありますから六本木に近い方の出口
改札出た辺りで待ってます。分かりますか?」
“ひょっとしてデートの打ち合わせ?
ったくしようがないわね、これだから若い子はイヤよ、
仕事用の電話でいちゃいちゃ。ちょっと可愛いとこれだよ、
注文の電話が入ったらどうすんの、
仕事にならないじゃないの、早く切りなよ”
年配女子社員の小山さん、ちょっとばかりおかんむり。
それを察してか、バイトの中田さん、
《はい、分かります、》ちょっと合間を置いて
《じゃあ、その見積の件につきましては当社係長が戻りましたら、
その旨伝えておきます、ありがとうございました。失礼します。》
なんて言うもんだから、への字になっていた小山さんの顔、
“なんだ仕事の話か、じゃあしょうがないか、”
なんて元の笑顔に戻るという訳。
公衆電話の受話器を戻しながら、
この子やっぱなかなか頭いいんじゃない、
そう思いながら今日のデートがより楽しみになったりして、、、
電話の使い方、応対の仕方、周りへの気配り、
今の携帯ではとてもできない、考えられないちょっと奥深いものがあったりして、
それはそれなりに面白い所がありました。
味噌の話
赤出し味噌の話
昔から、口紅を塗ったり、ほほに頬紅を叩くことを、
<紅を注(さ)す>と言います。
つまり赤い色を加えるのを、赤(朱、紅)を注す(さす)と言った訳です。
京都では甘い白味噌が主流ですが、桜味噌の様に赤い(濃い茶色)
味噌で仕立てた味噌汁もあります。
お碗に盛った濃い色の味噌汁のことです。
それが、赤色を加えるというので
赤をさす→あかさす→あかさし→あかざし→→あかだし→赤出し
となって、お碗に盛った料理だったのが、
いつの間にか味噌の名前になっていました。
そもそも桜味噌は京都の白味噌に愛知の豆味噌(八丁味噌)を
ブレンドして作った味噌です。
そこから愛知の味噌屋さんが自分達で同じような味噌(調合味噌)
を作って、それを『赤出し味噌』と称して売り出し、今に至ったのです。
――――生前父が私に話してくれたのを思い出して書いてみました。
そう言えばかなり前ですが、京都の料理の先生が
「赤出し用味噌」と言っていたのをTVで見た記憶があります。
ーーーさすがプロ、よく分かっていらっしゃる。
余談ですが、本来『八丁味噌』とは愛知県岡崎市八帖町に
500年以上前からある味噌屋2軒のみが使えた豆味噌の名前でした。
大豆だけを使い、これを麹にして塩を入れて仕込みます。
2年半は熟成させます。
水分が少ないため4t仕込めばその半分位の重さの石を乗せます。
古い歴史を持つ愛知の代表的な味噌です。
因みに現『㈱まるや八丁味噌』の蔵には豊臣秀吉が子どもの頃
―――悪ガキだった秀吉が野武士に追われてこの蔵に逃げ込んで
(八丁味噌は仕込みに5kg位の丸い平べったい石を何十個も使うので
蔵には石がごろごろ積んである)
その石を一つ井戸に投げ込んで、あたかも自分が井戸に飛び込んだ
様に見せかけて、実は味噌桶の陰に隠れて追っ手を逃れた、―――
という、いわくつきの井戸がまだあったりして、
それはそれは歴史を感じさせてくれます。
ーーーーその㈱まるや八丁味噌の社長浅井氏とは古いつきあいですが、
口髭を蓄えドイツ語英語を喋るユニークな人でTVにもよく出ています。
いずれ詳しく紹介します。



