『雉撃ち』
(草むらでしゃがんで用を足す格好が似ているので付けられた山言葉)
うん、さっき夕食に食べた赤出し味噌汁、インスタントにしてはうまかったな。
「ちょっと食後にキジでも撃ってくるよ。」連れの男にそう言うと、
テントサイトから縦走路に入ると直ぐ道をそれ、左の藪の中へ入って行った。
膝位の笹の中を適当な場所を探しながら、
そう言えば今日の昼、縦走路脇の小さな無人の山小屋に寄った時、
登山者ノートが置いてあって、昨日の日付けで
<今日縦走路でオヤジを見かけた、気をつけた方がいい。>
と書いてあったのを思い出した。オヤジとは熊のことである。
10月に入っての連休、友達と二人、南アルプスの
甲斐駒、仙丈ケ岳の縦走の山登りに来ていた。
紅葉は盛りを過ぎてその葉を落とし3000メーター級のアルプスは
冬の準備にかかっていた。
熊も冬篭りの準備で人道にも餌を探しに現れたらしい。
やだね、こんな所で熊ちゃんとバッタリなんて、ビックリなんてもんじゃないよ、
ドッキリ、ギックリだよ。イヤイヤ早く済ませて帰ろ。
わざと陽気なフリをして登山靴の先で適当な穴を掘るとズボンのチャックを下ろした。
急いで用を済ませて、ズボンを上げようとしたその時、
10メートル位か後ろで、ガサガサっと藪の中を歩く物音。
ドッキ!さては昨日の熊、現れたか。
恐怖てのあこんなものか、全身の毛が逆立つとはこういうことか、
眞に頭のてっぺんからつま先まで、
体中の毛という毛が全てビンビンに立った感じ。
ズボン上げる間もなく振り向いた。
ガサガサガサ、身の丈2メートルはあろうか、
カッと真っ赤な大口を開けた月の輪熊が
両手をあげ直ぐ後ろに仁王立ちでこちらに向かって来るではないか。
と思いきや、人だ。
頭からウインドヤッケをすっぽり被りゴーグルをして手にはミトン、
リュックのサイドにはピッケルが差してある。
あんぐり口を開けたまま、「あっ、どうも。」慌ててズボンを引き上げた。
相手はこちらを見るふうでもなく、知らん顔で
バサバサ藪の中を尾根沿いに下の方へ降りて行った。
なんだ人だよ、人間だよ、びっくりさせやがって。
心臓が口から飛び出しちゃうかと思ったよ。
しかしなんだよあいつ、人が挨拶してるのに知らん顔で、失敬な。
でもなにか、歩いてていきなし人が糞してるの見ちゃったら、俺でも知らん顔するか、
それもそうだな、ま、熊でなくて良かったよ。でも足はまだ震えていた。
現物と紙を丹念に靴のかかとで埋めてしまうと、もと来た道を下りた。
相棒はもう寝る準備をしていた。すぐに聞いてみた。
「さっき登山者が一人下りて来ただろう?
やたら厳重な格好した奴。」
相手は怪訝そうな顔で、「誰も来ないよ、ずーっとテントの外で
エアマットの空気漏れを調べていたけど、
誰か通れば必ず分かるはず、誰も通ってないよ。」
おっかしいな、あのまま真っ直ぐ下へ来れば必ず我々のテントの横を通る筈なのに、
横へ反れたかな。相棒が聞いた、「どんな格好してた?何が厳重だよ」
「ほら、ゴーグルしてて目出帽の上にウインドヤッケかぶって、まさに冬山よ。」
冬山って言ったとたん、〝はっ〟と、
ひょっとしてもしかして以前新聞で読んだことのある、
冬山の遭難者、の霊?お化け?
ウソっうっひょっ、
背中にぞーっと冷たいものが、だめだ、又足が震えてきた。
「おい、早く寝よ、しっかりテント閉めて!」
―――ほんと、山は人がいるから怖いのかいないから怖いのかよく分かりません。
こんなことも
在学中夏の終わり頃、テント背負って一人東北を旅したことがありました。
岩手山に登ってみようと麓の雫石と言う所
――当時ちょっと前飛行機事故があった場所で
人も何人か亡くなったと記憶してるんですが、
―――にやって来ました。
国民休暇村にバンガロー場があると言うのでそこにテント張って泊ることに、
普段ならグループ連れ、家族連れで賑わっていたんでしょうが、
シーズンオフとあってか誰一人いません。
何十のバンガローがありますが私以外人っ子ひとりいません!
ゴーっという森のさんざめき水場のピチャピチャ他は何の音もありません。
晩ご飯簡単に済ませ早々と寝ることに、
どうもいつもみたいには寝付かれなくて、
なんかいるのかなあ、テントから首を出して眺めていた時
――と突然2,30メートル向こうの黒々したバンガローのドアが
音もなくふわーっと開いた次の瞬間
白い影がスー―っと動いて
うそっ、だ誰っ、こっこっち来ないで!
――と、ふっと消えました、ーーーむろん誰もいやしないーー、
いやあー怖いの何の、頭から寝袋被って寝ました。
まー目の錯覚でしょうが、否確かに見たと、、、―――よくある話。
――――今はとてもそんな一人で山ん中テントで寝るなんて無理無理!
―――そんなことがあっても大学4年の終わり私の卒業旅行は
やはりテント寝袋担いでの南九州一人旅でした。
機会がありましたらその話も披露したいと思います。――昔の話はもういいか?!
2020-08-03 09:15:06
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