『わかって下さい』
最近『ジェットストリーム』に代わって
『昭和歌謡の泣ける歌特集』なんてのにはまって毎晩寝ながら聴いてます。
昨晩たまたま因幡晃のを聴いてたら
「わかって下さい」て曲にこんな歌詞がありました。
『涙で文字が滲んでいたら分かって下さい』
この行を聴いてふいに思い出したことがあります。
今を遡ること52年前、卒業して東京に出てきて3カ月、
右も左も分からないままウロウロしてたのが
ようやく仕事にもやや慣れて、
その日も私が主催した社内ボーリング大会がアフター5に行われる日でした。
「君に郵便来てる!」数ある郵便物に紛れて私宛の封筒がありました。
手に取ると見慣れた文字が、
「懐かしい、」
卒業、引っ越し、上京、就職とバタバタしててすっかり連絡もしてなかった、
大学4年間付き合ってきた彼女からだった。
ふうん近況報告かな、何気なく裏返すと
「んんー、」苗字が違う!
なんと、なんといつも書かれてる名前の苗字が違ってる!
「てことは、」急いで封を開けようとすると、
「土平君!今日のボーリング大会メンバー表出してくれた?」
「ハーイ、直ぐ出します。」
仕方ない後でゆっくり読もう。
案の定、ボーリングしてても苗字が変わってることで頭が一杯!
何でだ、どうなった、ひょっとして、どーなってんだーー!
ひたすら上の空で夢中で投げていたら最高スコア221、
何と優勝!
でもそれどころじゃないんだ。
飛ぶように帰ると震える手で封を開ける!
『、、、もうお分かりかと思います、
私苗字が変わりました。
結婚してちょうど1カ月になります、、、、、、、』
『でも、』
『本当はアナタと同じ姓になりたかった!』
『本当は、本当は、、本当は、、、それを思うと涙が涙が、
涙が溢れて止まりません!』
ポツリ、ポツリ、とポタポタ、そしてド―っと涙の跡が!
―――白い便箋のインクが滲んで
それが乾いてしわしわになっていました。
滲んだ便箋を書き換えることもなく、
そのまま書き続けて思いの強さを伝えたかったのでしょう。
私とて考えない訳じゃなかった、
しかしまだ慣れない東京で働き始めたばかり、
4年間付き合っていたとはいえ、
結婚など出来る訳ありません。
彼女には彼女なりの事情があったのでしょう。
まだ田舎にいる頃東京に出てくる少し前、一度電話で、
よく訳が分からないこと言ってたのを思い出しました、
あの頃は電話というものはもちろん
電話台に置かれて動かせません、
しかも居間にあったので家族全員に聞こえていました。
二人だけの込み入った話等出来る訳ありません。
本当は私の真意を聞きたかったのでしょう。
ひょっとして、結婚話が進んでいて
自分でどうしていいか分からず、
とにかく私に電話せずにいられなかった。
――なんでもっと真面目に聞いてあげなかったのか、
彼女の立場になって考えてやれなかったのか、
それは上司からの紹介だったり、加えて周りからは祝福の嵐、
断り切れずにやむなく、そのまま結婚、、、なんてことも、
私が新しい東京の生活にバタバタしてる時には
そう新婚生活が始まった。
―――そしてその後何とか気持ちの整理もついて書きだしたものの
書いてるうちに感極まって泣き出してしまった。
僕だって好きで好きでたまらなかった、
結婚できたらどんなに幸せだったか、、、、
思えば思うほど、
やはりやはり涙が涙が止まりません!
でも今となってはどーしようもありません。
―――庭に出て泣きながら封筒ごと手紙を燃やしました。
―――10年の初恋の終わりーー、
彼女を知ったきっかけはこう、
―――あれは中学1年始まり頃のある日、
隣の男と組んでの日直当番、
その頃は未だ給食がなくて、
弁当か購買部でパンを買って食べてました。
その日の日直当番がパン希望者の数をまとめて購買部に頼んで
ランチタイムに取りに行く段取りになっていました。
その日も二人してパンを取りに行って配ったのは良いのですが、
うっかりして二人とも自分たちの分を頼み忘れて、
何も食べる物がなくて、ポーっとしてました。
するとその時、後ろの席から
サンドイッチとおにぎり一つが送られてきました。
かわいそうに思った後ろの列の女子二人が自分たちの分を半分
分けてくれたのでした。
お陰で少しはお腹の足しになりました。
休憩時間二人でお礼に、
一人目は「いいから、いいから、そこ邪魔!」遊びに忙しいみたい。
もう一人は「日直ご苦労さん、うっかり忘れちゃったんですね、
少しばかりでごめんなさい!」
グッときました、それ以来彼女のことが気になり出しました。
常に気持ちの中に彼女がいました。
2年3年クラスは変わってしまいましたが、
彼女は何か益々きれいになって行くみたい。
陸上部で運動場を走ってる姿をよく見かけました。
――なんてきれいな走り姿。
でもそれ以来一度も言葉を交わしたことはありません。
高校も別々でお互い電車通学、
乗る駅は一緒ですが下りるのは私が一つ先。
でもそれこそ、片思いは増すばかり。
普通ならもう一つ遅い電車で乗っても
学校には十分間に合うのですが、
彼女が必ず乗るのは分かっていたので、
一つ前の電車で通いました。
おはようって言うこともなく、
ただ同じ電車に乗ってるてことで幸せでした。
ああ今日も一緒だ、嬉しい。
一度帰りの電車で、彼女が乗って来ることがありました。
あーっ彼女だ!左側のドアサイドにいた時右ドアから
彼女が乗ってきました。
目が合った訳でもなく、
彼女は友達とおしゃべり。
心臓はドキドキ、学生服の中は汗びっしょり!
駅に着くまで、ただ下向いて額の汗を手で拭うだけ。
人が見たら変なヤツ、暑くもないのに汗ビッショリ、と思うでしょう。
当時としては大半の高校生がそうであった様に
特別な女性がいる訳でもなく
バスケ部で3年間何事もなく過ごしました。
さすがにこんなんばっかりしててもしょうがない。
そこで、大学受験も無事終わったある日、
彼女と同じ高校に通ってた男友達の家に遊びに行きました。
「おい、卒業アルバム見せてくれよ。」
ページをめくりながら彼女を探しました。
あった!3年D組
友達がお茶をとりに行ってる間に、
最後に載ってる住所録(当時は当たり前にありました)を調べる。
住所と電話番号をしっかりメモして、
お茶飲むのもそこそこに家に帰ると、
初めてラブレターなるものを書きました。
『中学の時からずーっと好きでした、、、』
ポストまで行ったものの手紙を入れられず、持ち帰って又書き直し。
なんて繰り返し、、そしてついに投函。
暫くして返事がきました。
来ったーーあ!大喜び。
と言って大した進展もなく、
最初に会ったのが数か月後の夏休み。
何処で会ったかって?
なんと学校の下駄箱。
岐阜から帰省しててお互いの母校である中学校の下駄箱です。
休みで誰もいません、
ただ結構暑かったのは記憶にあります。
こちとらなり立ての大学生、片やれっきとした社会人。
何を喋ってたのかはすっかり忘れました。
別れ際にはお仕事頑張って、としか言いようがありません。
いわゆる遠距離でそんなには会えません。
でも下宿には沢山の手紙が来てました。
名古屋で食事したり、岐阜にも遊びに来たこともありました。
一緒にハイキング程度の山登りもしました。
正直大学生活中、何回か他の女性と付き合いかけたことも、
でも途中で辞めました。
今思えば何ともったいない。
ま、それだけ彼女に惚れていたのでしょう。
成人式の集合写真で彼女、
ベールの付いた帽子を被っていました、
何と大人びてエレガントに見えたことか。
その日も会うことはなくサークルの行事で岐阜に直行。
3年はサークル(ワンダーフォーゲル)の主将だったので
かなり忙しい1年でした。
4年は卒論と学生運動に明け暮れて、よくデモにも行きました。
新聞社の採用試験に落っこちて、
オヤジのコネで東京の味噌問屋に、―――その会社を通して
うちの味噌を三越で売ってもらってました―――
就職することとなりました。
そう彼女とのことは考えてなかった。
その会社の寮に住むことに、――で布団は、机は、何着る?
あれこれしてるうちにもう上京しなくっちゃ、
彼女の電話のこともすっかり忘れて、、、
寮に引っ越し、仕事が始まり、
右も左も分からない東京での一人暮らし、
自分の明日さえ分からない無我夢中の毎日。
休みには一人で新宿に、
なんて人が多いんだ、
ふうん、ジャズ喫茶がある、「木馬」
―――少しづつ慣れてはきたかな、
うちの三越の味噌、パッケージ変えた方がいいかも、
久々ボーリングもしたいかな。
東京の暮らしも悪くないな。
少しづつ周りが見始めてきた。
そう言えば彼女どうしてるかな、、
でもその先のことは、まだ余裕が、、、
そしてそんな時、飛び込んできた、突然の手紙。
――22歳の別れ!もう52年前か、
―――携帯、メール、ライン、――あの時こんな物があれば、
運命は変わっていたかもしれません。
♪これから寂しい秋でーす、
たまたま聴いた歌から思い出してしまいました。
少なからず盛ってはありますが、もう半世紀以上も前の事、
カビの生えた話としてご笑覧下さい。
2022-10-04 12:00:45
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